内藤哲也「辞めます」宣言の1秒前まで新日本辞めるつもりなかった!「面白いかなって」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

内藤哲也「辞めます」宣言の1秒前まで新日本辞めるつもりなかった!「面白いかなって」

■「辞めます」宣言の1秒前まで辞めるつもりはなかった

 

 新日本プロレスでトップになった内藤の快進撃は止まらない。2016年、2017年、2020年、2023年に東京スポーツ認定プロレス大賞MVPを受賞。武藤敬司、小橋健太の三度を超える快挙である。

 2020年1月4日の東京ドーム大会では、ジェイ・ホワイトを破りIWGPインターコンチネンタル王座を奪取すると、翌5日にはオカダを倒してIWGPヘビー級ベルトも奪い、史上初のIWGP2冠王者になった。しかし、ずっと口にしてきた念願の東京ドームでの「デ・ハポン」の大合唱はKENTAの乱入によって叶えられなかった。

 悲願を達成したのは2024年1月4日。G1覇者としてSANADAを倒し、IWGP世界王座を奪還した時であった。内藤を中心に東京ドーム内に「デ・ハポン」が鳴り響いたのである。

 

▲SANADAを下し、ファンと「デ・ハポン」の大合唱をする内藤哲也

 

 内藤は「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」を結成してから一度も人気が落ちることなく、常に会場のお客さまの心を掴んできた。2010年代後半から2020年代の新日本プロレス人気の立役者は間違いなく内藤哲也であった。

 しかし2025年に入ると内藤の口から信じられない言葉が飛び出す。

「オレはフリーだよ」

 新日本プロレスとの契約を更新していないことを明かした。昨年も契約を保留したことがあったが、最後はサインをしている。何より内藤は新日本プロレスへの愛情が深いプロレスラーだ。リング内外で厳しい意見を言うこともあるが、それは彼が新日本を愛しているからこそだとファンは知っていた。

「辞めるわけがない」

 誰しもがそう思っていた。残念ながらその期待は裏切られてしまう。

 4月16日に新日本プロレスは内藤哲也、BUSHIと契約解除をしたと発表。棚橋弘至社長もコメントを残した。

「昨日、内藤選手と話をしました。新日本が大好きな内藤には最後までずっと新日本にいて欲しい、という思いは伝えましたが、彼の意志は固くて、変えられませんでした。本人の想いを尊重した形での退団となります」

 こう述べて、ファンに謝罪し、最後まで内藤への声援をお願いした。

 内藤の退団は様々な憶測を呼んだが、一体どんな理由だったのだろうか。

「俺自身も新日本プロレスを辞めるということは想像していなかったんです。『辞めます』と言った1秒前まで自分が辞めるとは思っていなかった。だからこそ『辞めます』と言ったときに、自分の中で興奮してしまいました『言っちゃったよ、どうなっちゃうんだろう』という感じでしたよ」

 驚くべき答えが返ってきた。それから新日本プロレスはてんやわんやの大騒ぎだったのは言うまでもない。最初に退団を伝えた時は管林会長だけの交渉だったが、その後は棚橋社長と副社長も同席して話し合いが続いたという。

 何せ内藤は新日本のドル箱だ。辞められたら大きな痛手になるのは間違いない。それは内藤もわかっているはずだ。それでも退団を選んだ。

「去年初めて『保留』をしたんですね。それで今年も保留をしてみたけど、『どうせ内藤は新日本でしょ』というのがすごく見えたんです。フロントから『文句言ってるけどこいつは最後は新日本にするんだろう』みたいな雰囲気を感じてしまったのもすごく嫌で。

どうせ辞めないからと思われているのが嫌に感じてしまったので、『ちょっと辞めようかな、辞めたら面白いかな』と思って。先のことなんて全然決まっていないんですけどね。

ただ誤解しないで欲しいんですけど、不満だから辞めたわけじゃないんです。俺が新日本プロレスを辞めるなんて誰も想像してなかったでしょ。だから辞めたら面白いかなって。不満よりも面白さを優先させちゃいました」

内藤が語る面白さとは新日本プロレスにいたらできないことでもある。

「2019年に初めてコスタリカへ行った時に、俺を応援している人がいたんですよ。こんな遠い場所にも俺を応援している人がいることに感激しました。それでそういう小さい国だったり、国内でも新日本が回らない地域に生の内藤哲也を届けたいって思いも膨らんできていたのも辞める理由の一つです」

 こうして2025年4月に内藤哲也は二度目の「一歩踏み出す勇気」を実践したのだった。

次のページフリー転向で生まれてきた期待と楽しみ

KEYWORDS:

オススメ記事

篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

この著者の記事一覧